anthocyanin*

宝塚歌劇団についてひたすら書くよ

【花組】MESSIAH(宝塚)私にとって「わからなかった」のに「鮮やかさと美しさ」を鮮烈に残した四郎に寄せて

非常に更新をサボっておりました…が、ぼちぼち書いていきたいと思います!
毎度のことではあるのですが、今回は

  • 感想がそもそもない
  • すごいポエミーである
  • ほぼ自分語り

という、普段とそう変わらないっちゃ変わらないんですけども、そのケが非常に強いのでその点は覚悟いただけたらと思います。

 宝塚大劇場の幕が開いたのは、7月13日。約1ヶ月前のことです。

私は今回幸いにも初日を観劇し、その後も数回観劇していますので、ある程度の感想はかけたはずなんです。ツイッターでもぼつぼつつぶやいてはいましたし。

でも、今回の作品「MESSIAH~異聞 天草四郎~」は全然「感想文」として自分が何が書きたいのかわからない、そんな作品でした。

こう書くと「面白いと感じなかった?」「自分にとってわけがわからなかったってだけじゃないの?」と思われる方もいるかもしれません。
むしろ逆で、初日からとても面白いと感じましたしラストはボロボロに泣きました
観劇するほど泣けるポイントが増えてきて困るくらい、私の心に刺さってくる作品であることは間違いありません。

なのになぜ、ここまで書けないのか、所詮素人の感想文ですから締切もないですし、書かなくてもいいのですが…。
ありがたいことに「感想文好き」ととても嬉しいお言葉をわずかながら言ってくださる方がいらっしゃったこと、自分で備忘録として残しておきたいということもあり書こう、書こうと思っていたのですが、一向に筆が進まないまま。

何度か書いた文章こそあれど「これって書きたかったもんじゃないなあ」という感じで、マンガの中の小説家のようにボツを繰り返す、そんな感じでした。

観劇を重ねて、ようやっと私は「書けない理由」がちょっとわかった気がします。

私にとって、今回の作品の「天草四郎」が「わからない」からなんだろうな、と

この舞台では倭寇、いわゆる海賊の頭領である「夜叉王丸(明日海りおさん)」が、春の嵐に船ごとまきこまれ、天草の地に流れ着くところからお話が始まります。

 

高い年貢のために自分たちが食べる分はほとんどなく、ひもじい生活ながらも、天草の人たちは流れ着いた四郎の過去を詮索することもなく益田甚兵衛(一樹千尋さん)は、夜叉王丸を「益田四郎時貞」と名付け、自分の子供として彼を受け入れます。

彼の長女、福(桜咲彩花さん)の夫、渡辺小左衛門(瀬戸かずやさん)に仕える長一郎(帆純まひろさん)は「こんなヤツ放っておいたらいいのに!」と言います。正直本当にそうでしょ!人良すぎ!と思うのですが、キリスト教(イエズスというべきか…)を信じる彼らにとってはそうではなく、「何かの縁だから」と彼を諌めます。

受け入れられて四郎は天草の地に馴染むのですが、時が経つにつれて、彼らがキリシタンであり、さらに迫害を受け続けていることを知ります。

「なぜ、あなた達の神はあなた達を助けないのか」という疑問が四郎の中に渦巻き、偶然出会った島原に住む娘、流雨(仙名彩世さん)が島原のスーパークズ領主松倉勝家(鳳月杏さん)に狙われたこと、天草の人々に危険が及んだことによりその疑問が爆発します。

「神が本当にいるのであれば、今あなた達をなぜ助けないのか…」と。そんな神ならいらない、という、かなり強烈な言葉を放ちます。

天草や島原の人々にとっては、神がいるからこそ辛い仕打ちにも耐えてこられた。なのにそれを全力で否定するというのは、心が折れてしまうのではないか…と非常に心配になってしまうのですが…(実際皆さん折れてましたけど)。

でもそれは、四郎にとっては神に対する「怒り」なのだと思いました。こんなにも自分を助けてくれた、過去がどうであろうとも自分を息子と言ってくれた父、妹たち…なのに、そんな彼らがずっと傷つくのは許せないと。

 

ここは本当に妄想ですけれど(まあ全部そうだけど)、仮に天草の人に対してそういって、神から罰が四郎にくだされたとしても、四郎は別に平気というか、「神おるんかい!それやったら助けろや!」とか言いそうだし。

 

四郎は「あなた達は、神にも出来ぬことを私にしてくれた」と天草のみんなに伝えます。

何もせず見ているだけの、いるのかどうかもわからない、死んではらいそに連れて行ってくれるかなんてわからない「神」よりも、あなた達のほうがよほど救いを与えてくれた、「神」なのだと。

だからこそ、四郎はそんな「神」のために戦おうと決意したのではないか…と感じました。

…とは言っていますが、そう感じたのは本当にここ最近のことで、実はずっと私あそこが理解出来なかったんですよね。「神はいないって言って、一種の催眠状態にしてるようなもんじゃないの!?」なんてベクトルで考えたことさえあります(笑)。

もちろんあのシーンは大好きです。今回の中で一番好きなシーン、といってもいいくらい。
だけどどこか「どうして?」と四郎に対する疑問があったのも確かで。彼は神になりたかったわけではないでしょうし。

ただただ「わからないけど美しくて、わからないけど鮮烈」という。四郎という人間が全然私にとっては「わからない」ものだけれども、ただそれはとても鮮やかで美しいものだったんですよね…。

 

四郎にとって、天草の人たちの中にあるもの、心に「神」を見出した。だからこそ、彼らを守りたい、彼らのためにはらいそを生きて築きたい…と考えたのではないかな~…とふと自分の中で納得できる意味合いが出来ました。

そう思ったら今までとは比べ物にならないくらいスラスラと文章が出てきたから恐ろしい。


しかし舞台の感想ではなく、完全に「自分のMESSIAHにおける天草四郎解釈」にしかなっていないのでまた恐ろしい。

その他のシーンについてとかはまた別に書きます!